ケサン基地を訪れて。ベトナム戦争の激戦地の今とは

ケサン基地跡に残る米軍輸送機

ダナンの街から200キロ。ラオスの国境にもほど近いフアンホアン省にケサンの街はあります。

省全体でも7万人にも満たないこの省のさらに山間にあるこの小さな街は、1968年1月から4月にかけて、ベトナム戦争でも象徴的な戦いとされる「ケサンの戦い」が繰り広げられた場所でもあります。

山が剥げ上がるほど10万トンもの爆弾が降り注ぎ、両軍に多数の犠牲者を出したケサンの戦いとは一体なんだったのか。現地を訪れて目にした現在のケサン基地の現在を通して、お話していきたいと思います。

ケサンはどこにあるのか

現在、ケサンの街はベトナム中部の都市、かつての王都フエからおよそ130キロ走ったところにあります。

ケサンはベトナム中部、クアンチ省に位置している

ケサンはフエの街から130キロほどの位置にある

現在は数千人が住むようある規模のベトナムの田舎町になっており、そののんびりした雰囲気からは、かつてここで激戦が繰り広げられたとは感じられません。

ケサンの街はよくあるベトナムの田舎町になっている

ケサンの街はよくあるベトナムの田舎町となっている

唯一その存在を感じさせるのは街の中心にある兵士像。そして郊外に残る米軍ケサン空軍基地の跡です。このケサン空軍基地は、1968年に北ベトナムとアメリカとの間で3ヶ月にも及ぶ激戦が繰り広げられた場所でもあります。

この戦いでは両軍ともに多くの被害を出し、米軍は防衛そのものには成功したものの。最終的には自らの手で基地を破壊して撤退しました。アメリカにとって最前線の重要な基地を失ったことは、国内の厭戦気分を盛り上げることにつながったとされ、ベトナム戦争のターニングポイントの一つとされることもあります。

現在のケサン基地の様子。

現在のケサン基地。修復された幾つかの建物と、幾つかの兵器が置かれた博物館となっている。

ケサン基地が作られた背景

ここケサンにアメリカ軍の基地が作られたのは、1967年のこと。当時、この地域に走っていたホーチミンルートを断つために建設されました。

ホーチミンルートとは、当時北部ベトナムが利用していた補給ルートです。軍隊にとって、物資や人員を運ぶ補給は前線と同じく、もしくはそれ以上に大事なものです。しかし世界でも最大の規模を誇るアメリカと戦っていた北部ベトナム側にとって物資の輸送をどうするかは大きな課題でした。通常のルートで運んでいては、すぐ米軍の飛行機やヘリなど、空から発見されて破壊されてしまうからです。

そこで作られたのがホーチミンルートでした。このルートやケサンの近くの山間からラオス、カンボジアを経由して南ベトナムに入るという険しい山越えルートです。

ホーチミンルートの現在の姿

ホーチミンルートは現在では整備され、実際にその道を通るツアーなども催されている

険しいや山越えルートを使って物資を運ぶのは楽なものではなかったようですが、それでも隠れるところも多いため、物資の輸送はうまく行くようになりました。当然面白くないのはアメリカで、物資の輸送を妨害するため、ケサンに基地を設営して陸から空からこのルートに監視をしようとしたわけです。

ケサンの戦いの流れ

こうして両者の利害は真っ向から衝突することになりました。アメリカは6000人の海兵隊を駐屯させ、総数45000人にも及ぶという空軍兵力を大量に投入し、1日1300トンにも及ぶほどの爆弾の雨を降らせました。地上では最大で24000人規模に及んだ北ベトナム軍が、被害を顧みず攻撃をかけ凄惨な戦いは3ヶ月もの間続いたといいます。

ケサン基地の博物館に飾られた写真

ケサン基地の博物館に飾られた写真

ケサンに駐留していた海兵隊員の写真

注意 ケサンで海兵隊になるのはあなたの健康を損なう恐れがあります

大量に犠牲を払い、フランス軍を撃破したディエンビエンフーの戦いを再現しようともしたという北ベトナム軍でしたが、アメリカ側が陸路での補給を絶たれても継続的に空路での補給を続けたアメリカ軍は頑強に抵抗しました。アメリカが合わせて11万トン以上の爆弾を投下したナイアガラ作戦を実施すると、北ベトナム側が5000人以上の犠牲者を出すなど、次第に疲弊。結局はこの地域からの撤退を余儀なくされます。アメリカ側は基地を守り抜いた形になります。

しかし勝利した側のアメリカ側が直面したのは、人的にも費用的にもケサン基地を維持するのはコストがかかりすぎるという現実でした。結局アメリカ側も基地を自らの手で破壊し、ケサン基地から引き上げて行くことになったのです。

ケサン基地の塹壕

ケサン基地の塹壕。施設は米軍が撤退の際に破壊したが、現在では観光のために復元されている

ケサンの観光地化と現在

現在、ケサン基地はかつての国境である軍事境界線などをめぐるDMZツアーの一つの見所として、ヨーロッパなどからの観光客らにも人気を集めています。

しかし中には、かつて血まみれの青春を過ごしたケサン基地を一目見ようという米軍の退役軍人の姿もあります。

ケサン基地には当時の兵器の残骸が残る

ケサン基地に残る兵器の残骸

かつて米軍の爆撃によって岩肌がむき出しになり、The Rockpile(岩山)と言われていたかつてのケサン周辺の山々も、今では木々が生い茂る普通の山々になっています。

元米兵らは、山に登りたいと希望するのだそうですが、岩山だった頃は歩きやすかった山々も、木々が再び生い茂った今となっては、歩いて山頂に上がることは逆に難しくなっているというのは皮肉な話です。

ケサン周辺の山岳地帯

ケサン周辺の山岳地帯、戦争中、このあたりは激しい爆撃ではげ上がり、The rockpile(岩山)と呼ばれたという

敷地内を歩くと、巨大な輸送機が目に入りました。かつて多くのベトナムの兵士や物資を運んだ、ケサン基地の象徴とも言える輸送機。

ケサン基地内の畑

ケサン基地の中に作られた畑

しかしその背後では今で地元住民が畑を作り、バッファローが草を食んでいました。かつて破壊の象徴であった米軍の基地が、今では命を育み、地域住民にわずかながらも利益をもたらす。そんな存在となっているのです。

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