ベトナム

ソンミ村。ベトナム戦争の虐殺の地を訪れて

「ソンミ村」を知っているでしょうか?

ベトナム戦争下の1968年3月16日。ベトナム中部クアンガイ省にあるこの小さな村で、老人、女性、子供を含む500人がアメリカ陸軍によって虐殺された「ソンミ村事件」が起こりました。

非武装の民間人の殺害が世界に報道され、アメリカがベトナム戦争の敗戦へと向かうきっかけとなったこの事件。

このソンミ村。戦争終結から40年以上たった今、いったいどうなっているのでしょうか?実際に訪れて確かめてみることにしました。

ソンミ村の跡地を訪れて

虐殺の地、ソンミ村の跡地は今では一般に解放された博物館となっています。

Chứng tích thảm sát Mỹ Lai , Sơn Mỹ 虐殺の地にある記念館

 

敷地内にはソンミ村の当時の暮らしぶりが再現されています。

その暮らしぶりからはこの地域に住んでいたのは、バッファローを飼い、畑を耕す典型的なベトナムの田舎の人々だったことがわかります。

968年3月16日。

ソンミ村をアメリカ陸軍の小隊が襲いました。彼らは人々を家から追い立て

人々に銃弾を浴びせかけました。

彼らは泣いて逃げる子供を、孫を抱く老人も関係なく発砲。これにより妊婦を含む女183人、乳幼児など子供173人、男性149人の合わせて504人が殺害され、彼らの遺体は側溝を埋め尽くし、道路に散乱。村は壊滅状態となったのだといいます。

なぜソンミ村事件は起こったのか

なぜこんな悲惨な事件が起こってしまったのでしょう。

本当のところが完全には明らかになっているのか、に関しては疑問の残るところです。この事件で有罪判決を受けたのはわずか一人、ソンミ村の襲撃の現場指揮官だったウィリアム・カーリー中尉だけでした。

しかし当時、クアンガイ省ではソンミ村ほどではないにしろ、周辺の複数の村々でも米軍や、その同盟軍に襲撃され殺害される事件が頻発していて、組織的な「ベトコン狩り」の命令が発せられていたんではないかという声も根強くあります。

生存者、米兵らの告発

しかし米軍内部でもこの事件に反発する人たちもいました。

村民を救った偵察ヘリパイロット、ヒュートンプソン

例えば当時偵察ヘリのパイロットだったヒュートンプソンは、陸軍部隊と銃の突きつけあいになりながらも生存者を救おうと尽力しました。

彼のような兵士たちの証言、わずかに生き残った村民たちの証言によって、事件は明るみになって行きます。この結果、事件は世界的に報じられていくことになるのです。

米国の敗戦へ

犠牲になったのが、老人や女性、子供たちだったこともあって、この事件はアメリカ国内の反戦気分を盛り上げ、世界からの支持を失う結果にもなりました。

犠牲者の名前と年齢。10歳以下の子供の名前も多い

軍事的に「ベトコン」を減らすのが、この作戦の目的だったとしても、その目的が果たされることはありませんでした。

クアンガイ省はもともと軍教育が行われていたところで、従軍していた男性は多くいました。皮肉なことに彼らの多くが所属していたのはアメリカの同盟軍である南ベトナム軍だったといいます。

家族や親戚を仲間であるはずのアメリカ軍に奪われた彼らの心中は、どれほどのものだったか。彼らがどういう行動に出たのかは、想像に難くないものがあります。

ソンミ村の今

記念館から外に出ると、あたりにはベトナムらしい穏やかな田園地帯が広がっています。

こんな穏やかな場所で、なぜあんな悲惨な事件が起きてしまったのか。光景を思い浮かべるだけで心が痛みます。

近くには高校もある

村はベトナム学生たちの社会見学の場として、そして欧米人観光客に人気のベトナム戦争ツアーの目玉の一つとして、訪れる人も増えています。

虐殺から40年。ソンミ村は少しずつ負の遺産を観光資源に変えつつあるのです。

ソンミ村へのアクセス

虐殺が起こったソンミ村は、ダナンから南へ150キロ。クアンガイ省の省町クアンガイから25分ほどの走った海辺に位置しています。

訪れてみたいと思った場合、クアンナムのチュライ空港(Chu lai Airport)からクアンガイまでの高速バス、タクシーと乗り継ぐ方法か、ダナンなどの町から直接高速バスでクアンガイを目指す方法とで行くことができます。